音楽と魂の教育  エル・システマ

静寂の中に萌え出でて、風と会話する苔と若葉、悠久の時を経て確かに私たちに語りかけているお茶室と、何かの魂のような、その佇まいを慈しみで包んでおられる小堀和尚様を思い浮かべながら、原稿を書いております。和尚様との奇跡のようなお出会いに恵まれて数ヶ月後、和尚様はベネズエラからやってきたテレサ・カレーニョ・ユース・オーケストラの東京公演に駆けつけてくださいました。私の祖国の若者たちに大変熱いメッセージを送ってくださり、彼らを育てた教育について寄稿を頼まれたのでした。龍光院を愛する皆様に畏れ多くも、私なりにベネズエラの若者たちのことをご紹介させて頂きます。

私の大好きなダンテの『神曲』の中にこのようなくだりがあります。それはダンテが地獄を旅し、煉獄から這い出して、ついに天国にたどりついた場面でのことです。「静かだったけれど、それは遠い昔のことに思われる地獄の、あの押し殺したような静けさではなく、たとえば歌が歌われようとするその直前の、あの期待に満ちた緊張の一瞬にも似た、とても豊かな静けさだった―。」

心の中の豊かな静けさは、他者と関わり、響き合い、宇宙にあるものと一つになれるという、感覚。おそらく私たちはこれを「至福」と呼ぶのではないかと思います。

カリブ海に面した南米のベネズエラで、この「至福」を知った大勢の若者がいます。とても不思議ですが、彼らの心の静けさは大音量のオーケストラの中で見出されました。私も音楽家として、音で仕事をしていますが、聴衆の心に届く演奏ができたかどうかは全身で声を響かせる瞬間ではなく、歌い終わった後の静寂でわかります。美しい音の世界の感動の中で「私もあなたとつながっている。」という感覚が、自分の魂を安らぎと喜びで包んでくれるのです。

今から40年前に貧しいスラム街で始まった、無償のオーケストラ教育はエル・システマと呼ばれ、今や世界で最も成功した音楽教育プログラムとして、そのモデルが50カ国に広がっています。百年に一度の天才と称される指揮者グスターボ・ドゥダメルや、ベルリンフィルに最年少17歳で入団した首席コントラバス奏者、エディクソン・ルイスを生み出したのもエル・システマです。ロンドン・タイムスで世界トップ5のオーケストラに選ばれ、クラシック界で脚光を浴びている若者たちですが、彼らがどのようにして人々を虜にする世界市民になっていったのか、その背景はエル・システマの理念と切り離すことができません。
1975年、エル・システマの創立者であるホセ・アントニオ・アブレウ博士はカラカスのガレージで11人の少年を集めて、楽器を手渡しました。犯罪や非行が日常茶飯事のスラム街に、当時のエリート層しか手にすることのなかったバイオリンを持って行って子どもたちに音楽を教え始めたのです。そこで彼は子どもたちに語りました。「君たちは、この楽器で世界を変えるんだ。この楽器を奏でて、闘いなさい。」翌週、子どもたちは50人集まり、その次には100人を超え、あっという間に譜面台も足りなくなったと、当時アブレウ博士とエル・システマの創立に関わった父から聞いています。

後々、このプログラムは国家をあげての大プロジェクトとなり、今ではベネズエラ国内だけで70万人の子どもたちが楽器と、つまりは最愛の「友」と出会っているのです。
面白いのは、これが文化政策ではなく社会政策として位置づけられていることです。情操教育云々の前に、ベネズエラの若者は深刻な問題に直面していました。それは、彼らが成長の過程で夢見ることをやめ、社会から見捨てられていると感じることでした。「オーケストラは社会の縮図だ」とアブレウ博士は言います。オーケストラに入って彼らが得たものは、他ならぬ「居場所」です。毎日学校が終わると子どもたちは4時間をニュークレオと呼ばれる教室で過ごします。自分の楽器を弾けるようになるためには、責任感が養われます。他者とハーモニーを作るには協調性も必要です。芸術作品の中に身を置いて、価値観が培われます。練習時間を守る規律、お互いの尊重、そして美しいものをみんなで作り出すために一つになる時、恍惚の中で彼らは新しい世界を自らの中に切り開いているのです。彼らの尊厳と誇りは、家族にも伝染します。ほとんどの保護者はクラシック音楽を聴いたことがありませんが、自分の息子や娘が舞台で堂々と美しい音楽を奏でる姿を見ると、すぐ知人、友人に自慢し、輪が広がっていきます。一番大切なのは、彼らが自分も一人の大事な市民だと感じることです。皆が音楽家になることが目的ではありません。多くの若者は、小さな仲間たちのために音楽の指導に戻ってくるそうですが、ここから先生、弁護士、医者、福祉関係など自分の仕事を見つけて立派に旅たち、また戻ってきます。音楽という友、オーケストラの中で家族を得た彼らは、理不尽な逆境と闘うための大きな強みを持っています。喜びを分かち合う幸せと、自己の尊厳です。

創立者のアブレウ博士は、よくマザーテレサの言葉を引用します。「貧しさというのは、パンや屋根がないことではありません。それよりも、自分がだれからも必要とされず、だれからも愛されていないと感じることです。」自己肯定感というものを持っていなかった若者にとって、自分の尊厳に気づくことは他者の尊厳に気づくことです。その瞬間彼らは孤独から解放されます。

エル・システマの教育は、刑務所内でも行われます。面会が困難な場合も彼らが開くコンサートには家族友人が招かれます。音楽には固い心を和らげ、傷を癒す魔法の力があります。時には言葉よりも簡単に全てを語るのではないでしょうか。心動かす演奏に説明は必要ありません。

近年、注目されているのは聴覚障害を含めた、障害者たちのコーラスです。彼らの最愛の庇護者プラシド・ドミンゴが見守る中2013年ザルツブルグ音楽祭で目覚ましい国際デビューを果たしました。音楽エリート集団の舞台に障害者のグループが上がったのはザルツブルグ音楽祭史上初めての出来事でした。満場の聴衆が涙してスタンディングオベーションを送ったのは、非常に完成度の高い演奏で、彼らの内なる喜びが聴く人の心を捉え、それが音楽の本質的なところに触れるものであったからに他なりません。
ホワイト・ハンド・コーラスと呼ばれるこの合唱団は、二つで一つの合唱団です。右側のメンバーが声で歌い、左側のメンバーが手にはめた白い手袋を使い、手で歌詞を表現し体の動きで「歌う」のです。この中には視覚障害者、知的障害者、ダウン症、自閉症の子どもたちだけではなく、障害はないけれど兄弟と一緒に入った子どもが混ざっています。聴覚障害者の子どもは、音を聴ける友達の合図で歌いはじまます。目が見えず、耳も聞こえない子どもは後ろからダウン症の子どもに助けてもらって歌います。彼らはできることを誰かのために喜んで行い、また助けてもらい、必要とされながら美しいハーモニーと出会います。「音楽がない人生は考えられない」と語る聴覚障害者の少女。彼らには伝えたい思い、そして歌う「手」を通して伝えられる喜びが身体中から溢れ出ています。

音楽を通して、生き生きした感情が踊りだす喜びは、病院の小さな仲間たちにも届けられています。新生児集中治療室で、入念に楽器の消毒を行い、マスクと術衣を着てハープを演奏するのは世界ツアーを行うオーケストラのメンバーたちです。彼らは必死に呼吸をしようとする仲間のために時に三時間も連続で演奏をすることがあります。不思議と、音楽によって心拍数が安定し、集中治療室を出る赤ちゃんが後を絶ちません。ある母親は初めて我が子を抱いて涙がでたと言います。医者が尋ねると、母親はこう答えたそうです。「悲しいのではない。今この子には人生が待っているとわかって嬉しいの。」

ほとんどの親にとって、クラシック音楽は縁のないものです。しかし、子どもが得た人生の友は次第に親の友となり、絶望から希望へ、無関心から尊重へと何かが変わり始めていきます。そこにはいつも両手を広げて待っている仲間がいるのです。

嬉しいことにエル・システマのプログラムは震災後の福島県相馬市と岩手県大槌町でも芽吹きました。現在、相馬市と大槌町のすべての小中学校で無償の音楽教育が受けられるようになり、震災5年を迎えた今年の三月にはベルリンフィルの招きで37人の子どもたちがベートーベンの5番をベルリンのコンサートホールで一緒に演奏したのです。このつながりは糸と糸が織り合わさるように綾となり、どれほどの人の心を温め、守り、今後の歩みを力づけてくれることでしょう。

偉大な歴史家であるアーノルド・トインビーが人類が「魂の危機」に直面していると警鐘をならして世を去りました。魂の危機とは経済的な危機よりも、社会的な危機よりも、人類を悲劇に追うものなのかも知れません。アブレウ博士は、人間が根源的に希求する幸福に近づくために、この危機に立ち向かう答えを持つのは芸術と宗教のみであると語っています。

答えを確信し、喜びを爆発させて自分の人生と闘う子どもたちの演奏をいつか皆様にも聞いていただきたいです。希望の光を世界中に広げなくてはなりません。

2017年 龍光院発行 『南遊行』より