「被爆のマリアに捧げる賛歌」によせて


 なぜ人は傷つけあうのでしょう。人はなぜこんな悲しみを抱えて生きなければならないのでしょう。その答えを探し、20歳の時の私は長崎を歩くことにしました。そこで出会ったのが被爆したマリア像と樫の木です。母の愛と清らかさのシンボルとして多くの芸術家が憧れを抱いたマリアの姿とは対照的に、このマリア像は人間の手の中で真っ黒に焦げた小さな頭部だけを残していますが、空洞の瞳が見上げるその先を、当時私は怖くて見ることができませんでした。
 
長崎の原爆資料館には被爆した樫の木があります。幹の真中に陶器やガラスの破片が刺さっていますが、若く細かった樫の木は長い年月をかけ少しずつ破片を呑みこみながら年輪を重ねていきました。悲しみを抜きとるすべがないから、それを包みこんで生き続けた立派な木でした。それは被爆地に生きた立派な人たちと同じ姿をしていました。
 
旅を終え、作曲家の父に話をしたことから新しいアヴェマリアが生まれました。そして「被爆のマリアに捧げる賛歌」は2001年浦上天主堂で初演を迎えることになったのです。初演を目前に控えた矢先9・11テロ事件のニュースが飛び込んできました。戦争が決して過去のものではないという焦燥感を抱えながら、歌う呼吸の沈黙の中で私は再びマリア像が見つめる先に向き合うことになりました。マリア像が悲しみの奥で見つめていたもの、浦上に集まった人々から静かに立ち上るもの、それは絶望でも恨みでもなく「希望」でした。以後、奈良・東大寺の大仏殿、ベルギー・アントワープ大聖堂、NYグランド・ゼロで歌いながら、数え切れない出会いは私にひとつの確信をもたらしました。命は希望の祈りであり、希望は人間を捨てないということを。
 
この世界にはよく「無力感」という暗い風が吹きます。イラク戦争を止められなかった私たち、人類という仲間に不信感をもたらす核の誘惑。そんな中で歌はつかむこともできず、すぐに消えてしまいます。しかし、私は長崎から尊き希望を分けていただきました。そして歌うことは私にとって唯一、沈黙の祈りとつながる方法です。樫の木の命が紡いだ希望を、マリア像が絶望の果てに指し示す希望をしっかり握り締めて歌うことにいたします。
 
苦しい思いに打ちひしがれている人、希望なんて無くなってしまったと思っている人にこの祈りの声が届きますように!
 
May Peace be with you.